確かに、たとえば自然法則は「簡潔に記述されるべきである」といったことは明らかに主観であり、自然界の4つの力を単一の方程式で表そうとしたり、量子力学と相対性理論を統一しようというのは科学者の「好み」によるものであろう。
"Where is your ship heading for?" is an eternal question - Where the hell is the place you/me/we are seeking for, or SHOULD be seeking for? No one tells you. There's no nothing the correct answer. You might be the only who can answer it. Are you prepared enough to tell me what drives you most?
2008年5月25日
人間性の心理学
2008年5月24日
井の中の蛙。。。
「井の中の蛙、大海を知らず」。“自分の狭い知識や考えにとらわれて、他の広い世界のあることを知らないで得々としているさまをいう”(大辞泉)。これは「荘子・外篇・秋水第十七」の次の件(くだり)からきている:「井蛙不可以語於海者、拘於虚也。夏蟲不可以語於氷者、篤於時也。」
(井戸の中の蛙(かえる)には、海のことを話しても分からない。それは、自分の狭い居場所にこだわっているからだ。また、夏の虫に氷のことを話しても分からない。それは、夏の季節だけにとらわれているからだ。)
「知る」ということはどういうことだろう。たとえば、自分の知らないのは「大海」だけだろうか?「井の中」であれば知っているのだろうか?「井の中」について多少知っていることはあるだろう。しかし、それについて十分「理解している」かどうかはわからないし、そもそも「知っている」と思っていることが本当に正しいかどうかもわからない。インターネットにアクセスし、情報を容易に収集できる時代、つまり井の中にいても大海について知ることができる今、「知っている」価値とは何だろう。
(井戸の中の蛙(かえる)には、海のことを話しても分からない。それは、自分の狭い居場所にこだわっているからだ。また、夏の虫に氷のことを話しても分からない。それは、夏の季節だけにとらわれているからだ。)
「知る」ということはどういうことだろう。たとえば、自分の知らないのは「大海」だけだろうか?「井の中」であれば知っているのだろうか?「井の中」について多少知っていることはあるだろう。しかし、それについて十分「理解している」かどうかはわからないし、そもそも「知っている」と思っていることが本当に正しいかどうかもわからない。インターネットにアクセスし、情報を容易に収集できる時代、つまり井の中にいても大海について知ることができる今、「知っている」価値とは何だろう。
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