「井の中の蛙、大海を知らず」。“自分の狭い知識や考えにとらわれて、他の広い世界のあることを知らないで得々としているさまをいう”(大辞泉)。これは「荘子・外篇・秋水第十七」の次の件(くだり)からきている:「井蛙不可以語於海者、拘於虚也。夏蟲不可以語於氷者、篤於時也。」
(井戸の中の蛙(かえる)には、海のことを話しても分からない。それは、自分の狭い居場所にこだわっているからだ。また、夏の虫に氷のことを話しても分からない。それは、夏の季節だけにとらわれているからだ。)
「知る」ということはどういうことだろう。たとえば、自分の知らないのは「大海」だけだろうか?「井の中」であれば知っているのだろうか?「井の中」について多少知っていることはあるだろう。しかし、それについて十分「理解している」かどうかはわからないし、そもそも「知っている」と思っていることが本当に正しいかどうかもわからない。インターネットにアクセスし、情報を容易に収集できる時代、つまり井の中にいても大海について知ることができる今、「知っている」価値とは何だろう。
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