2008年5月25日

人間性の心理学

A. H. マズローの「人間性の心理学」(A. H. Maslow "MOTIVATION AND PERSONALITY (Second Edition)")を読みました。随所に心理学に関する研究に言及していたり専門用語がふんだんに出てきており、非常に読解困難な部分が多かったが非常に面白い内容であった。特に後半の1/3にはマズローが個人的な好奇心にかられて行った、(精神的に)極めて健康な人(「自己実現的人間」)についての研究について書かれており非常に興味深かった。ある規準をもって自己実現的人間であるような被験者を選定し、彼らなぜそうであるか、ということについて解明しようとしている。これはジェームズ C. コリンズらの「ビジョナリーカンパニー」(James C. Collins & Jerry I. Porras "BUILT TO LAST")でビジョナリー・カンパニーがなぜ、そうなりえたのかを解明しようとしたことと通じるものがある。(余談だが、この「ビジョナリーカンパニーは企業組織を個々の人間に置き換えて読み取ると非常に面白い)。著書のもうひとつ面白い点は前半で科学、研究手法、科学者自体について述べられている部分で、「科学は完全に客観的ではなりえない」、と主張している点である。(これは人間の知覚が自身の価値観によって歪曲され得るためである)
確かに、たとえば自然法則は「簡潔に記述されるべきである」といったことは明らかに主観であり、自然界の4つの力を単一の方程式で表そうとしたり、量子力学と相対性理論を統一しようというのは科学者の「好み」によるものであろう。

2008年5月24日

井の中の蛙。。。

「井の中の蛙、大海を知らず」。“自分の狭い知識や考えにとらわれて、他の広い世界のあることを知らないで得々としているさまをいう”(大辞泉)。これは「荘子・外篇・秋水第十七」の次の件(くだり)からきている:「井蛙不可以語於海者、拘於虚也。夏蟲不可以語於氷者、篤於時也。」
(井戸の中の蛙(かえる)には、海のことを話しても分からない。それは、自分の狭い居場所にこだわっているからだ。また、夏の虫に氷のことを話しても分からない。それは、夏の季節だけにとらわれているからだ。)
「知る」ということはどういうことだろう。たとえば、自分の知らないのは「大海」だけだろうか?「井の中」であれば知っているのだろうか?「井の中」について多少知っていることはあるだろう。しかし、それについて十分「理解している」かどうかはわからないし、そもそも「知っている」と思っていることが本当に正しいかどうかもわからない。インターネットにアクセスし、情報を容易に収集できる時代、つまり井の中にいても大海について知ることができる今、「知っている」価値とは何だろう。